福岡地方裁判所小倉支部 昭和37年(わ)911号 判決 1966年1月27日
被告人 杉原茂雄 外二名
主文
被告人はいずれも無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は別紙のとおりである。
まず本件発生に至るまでの紛争の経過を証拠によつて概観することとする。
中間市大字中間六〇五五番地所在の大正鉱業株式会社(以下会社という)は九州大手の名門炭礦であつたが、多年にわたる放漫な経営と近年の炭業不振に災されて、業績は低下し債務は累積するに至り昭和三五年ごろからは賃金の支払も滞り勝となり、大正鉱業労働組合(以下大正労組という)との間にたびたび紛争を繰返し同三七年二月以降は全山ストに入つたのであるが、上部団体である炭労のあつせんにより同年六月一四日会社と大正労組間に休戦協定が成立し、争議は一たん解決した。右協定は人員整理を内容とし、退職者に対しては規定の退職金のうち総額三、〇〇〇万円をまず支払い、残余は相当長期にわたる分割払とすることとなつていたが、会社の前途に不安を抱く退職希望者が殺倒し予定人員を上廻る状態であつた。
このとき退職した者のうち被告人三名を含む四八五名が大正鉱業退職者同盟(以下同盟という)を結成し、退職金確保のため会社と交渉に入ろうとしたが、会社はその義務なしとして拒否し、同年七月福岡県地方労働委員会(以下地労委という)が同盟の労働組合適格を公認するまで、交渉に応じなかつた。
しかも会社は社宅並びにその敷地を他に処分して資金を得る必要に迫られていたので前記休戦協定中に退職金の支払は社宅明渡を条件とする。ただし退職者の就職などの条件を顧慮し別途協議する旨の諒解事項が付せられていることを根拠として、退職後もなお社宅を占有している者に対しては、退職金の一部たりとも支給できないと主張し、同月中これに該当しない退職者に対し、前記総額三、〇〇〇万円の一人平均に相当する退職金内払を行つたが、依然社宅に居住していた被告人ら同盟員に対してはその支給を拒絶したため、同盟は会社を相手方として福岡地方裁判所に対し退職金請求の訴を提起し、さらに同年九月五日から同社中鶴炭礦捲場などに坐り込みを始めたが、地労委のあつせんにより一時中止した。
しかるに同月中旬地労委の示した右三、〇〇〇万円に相当する退職金内払の即時無条件実施を内容とする調停案に対し、同盟は直ちに受諾したが、会社側がこれを拒否したため同盟は再び前記捲場などに坐り込んだが、会社の申請により福岡地方裁判所から仮処分命令が発せられたので、右捲場などから退去するのやむなきに至つた。以上の事実を認めることができる。
そこで進んで暴力行為等処罰に関する法律違反の訴因について検討する。
証拠によれば同盟は、前記仮処分の執行を予知し、これとの抵触を避けて、捲場などから退去し、さらに被告人らをして入坑せしめることとなり、同年一〇月一三日被告人三名を含む同盟員二五名は起訴状記載のとおり同社中鶴炭礦新一坑四〇〇馬力エンドレス捲卸詰に共同して坐り込みを始め、同日午後四時二〇分ごろ会社の命により同所に至つた採礦係長佐々木一馬ら四名から直ちに退去するよう要求されるや同人らを取りかこんで「退職金をもらえばすぐ出る」などと言つて騒いだりしたことをうかがうことができるけれども、その際背後から肩を小突かれたという佐々木一馬の証言によつても、行為者の何人であるかは判然としないのみならずそもそも同所は巾約四メートル延長約二二メートルにすぎず床上には器材も散乱していたというのであるから、ここに被告人らを含む約三〇名の多数が集るときは肩などの触れ合うことも当然あり得ると認められるので、果してそれが故意に基く暴行か否かもにわかに断定できないうえ、その場において同盟員の指揮に当つていた被告人杉原が終始「絶対に手を出すな」と暴力を振うことのないよう厳重に指示し、被告人廿らもこれに従つていたことは右佐々木らの証言によつてもこれをうかがうことができるので、被告人ら三名が佐々木らに対し自ら手を下して暴行を加えたことは勿論、他の者と共謀したことを認めるに足りる証拠も存在しないといわなければならない。
さらに右証言などによると被告人らのうちには佐々木らに対し多少穏当を欠く言辞を用いた者があることは明らかであるがそもそも被告人らが仮処分執行を免れて礦底に入つたことはその当時すでに会社に明らかとなつていたのであるから、従前の経緯に徴すればそれが退職金の支給を要求する同盟の斗争手段の一環であり従つて単なる一片の退去要求に応ずるとは到底考えられない状勢であつたのにかかわらず、しかも礦内の事情に暗い勤労係職員までも加えて、被告人らのもとに派した会社側幹部の意図もまた疑なきを得ないところであり、退去要求のみであれば終始開通していた電話によつても事は足りるのであるからむしろその真意は、礦底に坐り込んでいる被告人らの氏名言動などを把握し後日に備えて資料を蒐集することにあつたとも見られるのである。
そうしてこのような事情は、当時被告人杉原が同盟本部からの電話に対し「会社側がからかいに来たから、こつちもからかつているだけさ」と答えたことでも明らかなように、被告人らも充分察知していたものと認められるから、会社を代表していわゆる敵状偵察に来たともいうべき佐々木らに対し、団体行動の一環として坐り込み中の被告人らが、その団結と目的貫徹の決意を極力誇示しようとすることはむしろ当然であり、その結果平常時のそれよりもやや誇張した言動が見られたとしてもまたやむを得ないところである。
もとより右のような言動もその程度を超えたときは不当な脅迫とされねばならないことはいうまでもないが、本件においては例えば被告人廿が「鋸でひいてやろうか」とどなつたと言つても単に折畳式の坑内用鋸を刃を折込んだまま差上げて見せたというだけであつて一方前述のとおり被告人杉原の「絶体に手を出すな」との指示が行われていたことをあわせ考えると、このような場合前記のような言動をとらえて通常の団体行動に許される限度を超えたものということはできない。
結局右訴因については犯罪の証明がないことに帰するのである。
さらに威力業務妨害の訴因について考えてみることにする。
被告人らが会社に対する団体行動の一環として新一坑エンドレス捲卸詰に坐り込みを始めたことは上述したとおりであり、また証拠によれば被告人らが同所に存する終点矢弦にグリツプチエンなどを捲きつけなどして、これを運転するときは附近に在る被告人らの生命の安全をも保しがたいような状況に導き、会社をして坑内交通の幹線である右矢弦に連る四〇〇馬力捲揚機の運転を断念させ、これにより出炭機能を麻痺せしめ、その結果会社に多大の損害を与えたこともこれを認めるに難くない。
しかしそれだからといつて被告人らの右所為が刑法第二三四条にいわゆる「威力ヲ用ヒ人ノ業務ヲ妨害シ」たものといい得るであろうか。
検察官はいわゆる争議行為は、労働者が労働契約上負担する労務供給義務の集団的不履行を以て本質とするのであるからすでに退職して会社との間に労働契約も存しない以上、被告人らの行為をもつて労働争議ということはできないと主張する。
しかし労働関係調整法第七条の明文をまつまでもなく、労働者の争議行為には、検察官の主張するいわゆる同盟罷業のほか怠業その他労働者がその主張を貫徹することを目的として行うところの、使用者の業務の通常な運営を阻害する一切の行為が含まれると解すべきであつて、特定の行為が労務提供の拒否でないというだけでこれを争議行為にあたらないとすることは、使用者がその経済的優位を利用し、企業財産に対する支配権を以てあらゆる手段により労働者を圧迫し得ることを認める一方、労働者に対してはその対抗手段を市民法上許容できる範囲に厳しく限定せんとするものであつてわが憲法が特に第二八条の規定を設けた趣旨を没却した所有権絶対の理念に基く、労働法以前の思想であるとのそしりを免れないであろう。
本件は被告人らが在職中取得した退職金債権の実現をはかるため、団結して会社に対し前記行為に出でたものであることは明らかであるからこれを争議行為と見るに妨げなく、従つてその違法性の存否は右所為が社会通念上相当と認められる範囲を逸脱しているか否かによつて定まるというべきである。
すなわち被告人らの所為は、一応刑法第二三四条所定の構成要件に該当する如くであるが、そもそも争議行為は労働者が団結して使用者に対抗するのであるから集団の威力を誇示することは当然であるし、またその本質は業務の正常な運営を阻害することに存するのであるから前記罰条を文字通りに解するならば、すべての争議行為は犯罪とされ、憲法第二八条の保障は全く空文に帰することとなるであろう。
従つて特定の争議行為に対し威力業務妨害罪の適用ありというためには、その争議行為の目的又は手段が全法体系の秩序を紊し、到底許容できないものと認められる場合に限られねばならない。
もとより判例の示す如く争議権も無制限な行使が許されるわけではなく、他の基本的人権によつて当然に制約されるのであるから、その調和点を何処に求めるかは困難な問題であるが、憲法は法律による限り財産権の内容は自由にこれを定め得るものとし、いわゆる「所有権は義務を伴う」ものであることを明らかにする一方その第二五条においては全国民に対し勤労の権利を保障し、かつその義務を課していることに徴すれば、基本的人権のうち少なくも財産権が争議権による大巾な制限を受忍すべきことを憲法自体容認しているものといわなければならないのである。
そこで本件についてこれを見るに、起訴されている被告人らの所為は、いわゆる終点矢弦にグリツプチエンなどを捲きつけ、一時的にその運転を不能ならしめたというに止まり、右矢弦を破壊損傷した証跡はないし、被告人らが現場から退去したあとは容易に原状に回復できたことも証拠上明らかである。さらに被告人らの右所為によつて会社の業務が著しく阻害されたことは認められるけれども、これに対しては本件紛争が、賃上げ或は解雇撤回など原則として使用者の自由に決し得る事項を目的とする通常の労働争議と異り、使用者の義務であるところの約定退職金を請求するものであることが指摘されねばならないであろう。
すなわち本件のように労働協約或は就業規則などに基き支給される退職金は、使用者の恩恵的贈与と異り本質的には労働者の退職を不確定期限とする後払賃金であると解せられ、従つて使用者は破産、会社更正など法に定める場合のほか、その支給を拒み得ないのであつて、その根拠となつている労働協約などに支給時期の定めのある場合これに従うことは勿論であるが、すでに履行の終了している労働力給付の対償であるから、その支給を社宅明渡などのような他の条件にかからしめることは、前記憲法の各条文並びに労働基準法第一三条、同第二三条及び同第二四条の各趣旨に照らし到底許されないものといわなければならない。
このことは右のような条件を附することを内容とする労働協約が形式的に見て有効に成立した場合であつても、前記各法条が罰則を伴う強行法規と解せられる以上結論を左右するものではない。
以上の事実関係を綜合すれば被告人らの上記所為を以て労働争議の正当な限界を超え、刑事責任を問わるべき行為ということはできない。すなわち罪とならないものである。
よつて刑事訴訟法第三三六条に従い主文のとおり判決する。
(裁判官 富川秀秋)
公訴事実
被告人杉原茂雄は大正鉱業退職者同盟(以下退職者同盟という)の副委員長、同吉武敬之助は退職者同盟三区支部長、同廿直司は退職者同盟員にして、他の退職者同盟員と共に同鉱業株式会社(社長田中直正)に対し退職金の支給を要求して昭和三十七年九月五日から中間市大字中間六、〇五五同社中鶴炭礦捲場附近に坐り込み同所附近を占拠したが福岡地方労働委員会の斡旋開始により同月八日から同月十九日迄右坐り込みを一時解除したものの右斡旋不調により同月二十日から再び前記捲場附近等に坐り込みを行つたところ、会社側が同年十月十三日午前十時過頃右坐り込みをを排除すべく仮処分執行に着手しようとするやこれに先立ち
他の同盟員二十二名と共謀の上、同礦新一坑内に侵入し同日午前十時五十分頃、同社中鶴炭礦新一坑エンドレス捲卸詰に立至り、運搬司令石橋隆義等の看守する同所の終点矢弦等にグリツプチエンを巻きつけ鉄材を差し込む等して同矢弦の上や附近に坐り込み、更に同日午後四時二十分頃操業再開のため同社採礦係長佐々木一馬外三名が同終点矢弦附近に至り退去要求を行うや同人等を取囲み、佐々木係長等を肩で突き「何しに来たか、俺達は何時死んでもよいからお前達もここにおれ」「お前達を矢弦にくくりつけて運転してやる」「あとで家に押しかけるぞ」等と申し向け多衆の威力を示して暴行脅迫を加えもつて同月二十二日午後十時頃に至るまでの間同社中鶴炭礦新一坑四〇〇馬力エンドレス捲機の運転を不能ならしめて同炭礦の出炭業務を妨害したものである。
罪名罰条
威力業務妨害 刑法第二三四条
暴力行為等処罰に関する法律違反 同法第一条